月夜にさんぽ: デボラの世界
デボラの世界
「デボラの世界」ハナ・グリーン著
40年ほど前に刊行され、現在では出版社にも在庫がないようで、図書館などでしか手に取る機会がない本なのですが…
私自身がこの本と出会ったのは20年ほど前。一度読んだ本を再読することがあまりない私がこれまで何度か読み返し、そして最近、しばらくちゃんとした本を読んでなかったな、と再び手に取ったのがこの小説でした。昨夜読了。やはり改めてとても良い作品だと思ったので紹介します。
副題に「分裂病の少女」とあるこの本は、みすず書房の心理学専門書シリーズの一冊として発行されています。フィクションでありながら当時の精神病理学の知見を正確に踏まえて分裂病(現在は統合失調症と呼ばれているようです)の患者の精神世界を描いているために、心理学や精神病に関心のある人を対象に専門書として扱われたのだと思います。
しかしこの作品は純粋に小説として非常に優れた魅力的な作品です。さらに、今や心の病は特別なものでなく誰もが罹りうる一般的なものとして認知されてきている時代、現実とバーチャルな世界との境界が侵食しあっている時代であることを思うと、色褪せないどころかより共感や関心の得られるテーマを持っていると思います。
の名前は何ですか
物語は16歳の少女デボラの3年間の精神病院での生活を描いています。狂気に囚われた人々の恐ろしくも苦悩に満ちた世界。そして娘の病気を前に戸惑い悩む両親の姿。そんな中でデボラは優れた精神科医フリード博士と出会い、博士とともに過去を見つめなおし、現実と向き合うための苦闘を始めます。
「狂気の世界の魅力と不思議さが、これほど明晰に、美しく描かれたことはなかったであろう」と裏表紙にあるとおり、この作品の魅力のひとつは、絵画的才能を持ったデボラの内面世界の独特の美しさにあります。
精神医学の専門知識を持たない私がこの作品から解釈した分裂病とは次のようなもの。「現実の世界があまりにも厳しく生きづらい状況である時、自分を守る盾として心の中に仮想の世界を作り出す。はじめのうちその世界は心の慰め、避難所として機能するが、次第に暴走し、現実の世界から人を切り離し、日常生活を営むことが困難になってしまう」。
デボラの仮想世界は〈Yr〉(イア)と名付けられていて、美しい神々が住む一方、彼女の心の傷が生み出した脅迫的、攻撃的な住人たちもいます。次第にその仮想世界が彼女にとっての現実となり、本来の現実の世界が存在感を失っていったのです。
治療の過程で、彼女が今まで自分を守ってくれた愛する〈Yr〉と決別しなければ再び現実の世界とつながることはできないという事実と直面し、不安と恐怖の中で苦闘する姿。もがき苦しみながらも、生への渇望に導かれて一歩一歩前進する姿は、何度読んでも勇気と感動を与えてくれます。
私自身は今までの人生でそれほど深い恐怖や孤独に直面したことはありませんが、子供の頃から小説、漫画などの物語の世界、そして自分自身で作り出した空想の世界で遊び、現実の世界と仮想世界の間を行き来するのはごく自然なことでした。だからデボラに対して強い共感を持ったのだと思います。
デボラとともに過す精神病棟の人々もまた魅力的です。わめき、暴れ、あるいは人形のように言葉も発せず動きもしない患者たちは各々の狂気の世界に囚われて、互いに交流することができないかのように見えます。しかし時に、彼らには同じ苦しみを分かち合う者同士ならではの密かな連帯や友情があり、苦しみの中にあるからこそより純粋で美しく見えてくるのです。
あるいは普通よりも純粋で繊細な精神を持っているからこそこのような病気になってしまうのか、とすら思ってしまいます。「鈍感力」という言葉がありますが、人間社会にはあまりにも多くの虚偽や醜悪さが満ち満ちていて、それに気付き過ぎない鈍感さ、忘れっぽさを持っていることで、何とか「平凡な日常」を獲得することができているのかもしれません。
私は耐えることができるよりも多くない
精神病というなかなか通常では踏み込めない世界を見事に描いた作者ハナ・グリーンは、「作家」という肩書きでしか紹介されていないので、どうやら特別心理学の専門家というわけでもなさそうです。今回このレビューを書くにあったって検索してみたところ、他にもう1冊彼女の作品が日本で発刊されていることがわかりました。
「手のことば」というタイトルで同じくみすず書房より。聾者の両親から生まれた娘の50年間にわたる物語、ということです。
こちらはまだ普通に手に入るようなので、近いうちにぜひ読んでみたいと思います。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※半角英数字のみのトラックバックは受信されません。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
『デボラの世界』ハナ・グリーン著(みすず書房)。 ここ数年読んだ本の中で一番心を動かされた。 十六歳の少女の、三年間にわたる精神病院での生活と、狂気から現実への旅路をえがいた小説(単行本..
また、小春日和さんのブログでも丁寧なお返事、ありがとうございます。
このようなあまり世に知られていない作品、でも自分にとって大切な作品で共感を分かち合うことができてとてもうれしいです。
また時々ブログの方にもお邪魔させていただきます。
"避妊 - なぜない"
「デボラの世界」で検索していてこちらに流れ着きました。
感想を拝読していて、概ね同感なのですが、分裂症(統合失調症)については誤解を招く小説なので、僭越ながらそこら辺についてコメントさせていただこうと思いました。
以下に書くことは貴エントリへの批判では無いことを事前に申し沿えておきます。
このエントリでくーにゃんさんが書かれたポイントは、私も同じように感じて共感を覚えております。
そして私もこの小説を読んで大変魅力的で深みのある作品だと思っております。
それだけに、50年前の知識で書かれた「分裂症」としての描写が現代の知識に照らすと間違っている部分があることが残念であり、また、間違いが独り歩きすることを懸念もしております。
(この本の初版CopyRightは1964年となっていますので、取材期間なども勘案すればほぼ50年前の知識で書かれていると判断して良いのではないかと思います)
これはやっぱり良くも悪くも「よくできた50年前の小説」です。
読む人は、そのことをよく念頭に置いて読まなければ統合失調症について大いなる誤解を植えつけられてしまうことでしょう。
まず第一に、分裂症(統合失調症)の患者には、現代医学の常識では精神分析は禁忌だそうです。
何故か、というと、まず大前提として、脳内のドーパミンの分泌がおかしくなってるのが統合失調症なわけです。この脳内の異常が原因で色々と妄想や幻覚が生じてくるわけです。溢れてしまったドーパミンの影響で、脳内に外界からの刺激に起因しない情報が生じてしまい、それが妄想などの元凶になっている。
この現象そのものは、患者本人に自省を促しても改善されるような性質のものではないのですから、精神分析では治りようがないわけです。
しかも、患者に妄想について考えさせることは、むしろ妄想を加速・増殖させる誘因になります。
統合失調症の患者は、自身の妄想については病識を持つ(=自分が病気だと自覚する)ことが不可能であり、それについて深く掘り下げることは取りも直さず、妄想そのものを深化させることにもつながるからです。
つまり、精神分析は症状が悪化する可能性の高い、最悪の選択になり得るわけです。
ですから、日本のユング派精神分析の草分けである故・河合隼雄氏は、投薬が必要な精神病患者は精神分析では扱ってはならないと著書で述べておられます(該当書がどれなのかは失念しました。記憶のみであいすみませんorz)。
そして、もし自省を促し、精神分析の俎上に載せる事で寛解へ導かれる事例があったとしたら、それはおそらく統合失調症ではない。
それくらい精神分析と統合失調症は「合わない」のです。
では「デボラ」はどんな病気だったのか。
もちろん、小説の世界であることを念頭に置きつつですが、モデルになった医師が明記されこそしないが名指しで噂されていることから、おそらく患者にもモデルはいたのかもしれないとも思えます。
だとしたら、何かしら参考になった症例はあるはずです。
ではそれはどういう疾病だったのか。
おそらくは、神経症系列の病気ではないかと思われます。
その根拠として、(貴エントリとも重複しますが)以下を引用しておきます。
このパートは、統合失調症よりもむしろ神経症に適合する内容だと思います。
145pより引用
「ご注意しておきますが、症状が病気なのではありません」医師の言葉は続いた、「症状というのは防衛、つまり、いわば盾のようなものなのです。お信じになれないかも知れませんが、彼女にとっては今は病気だけが確かな足場なのです。今彼女と私と二人でしていることは、彼女の立っているこの足場を少しずつくずしていくことなんです。この足場がくずされたら、そこにもう一つの、もっとしっかりした足場が存在するということを、現在の彼女の立場にご自分をおいてごらんになれば、彼女が身ずくろいなんかにかまっていられないわけがおわかりになると思います。とてもびくびくしていて、いろいろな症状があらわれるということもおわかりいただけると思います」
(引用終わり)
統合失調症の場合、おそらく「症状=防衛」という言葉は実態にそぐわない。
しかし、神経症の場合は、腑に落ちます。
(神経症と一言で言いましたが、現代のDSM-IVでは、人格障害に分類される疾患がおおよそかつての神経症の分類とカブるものだと言っていいのではないかと思います。いまでも人格障害という診断名を避けるお医者さんは意外と多いようですが、それも意味の有ることなのだと思います)
そんなわけで、「デボラの世界」は、統合失調症の患者の物語として 読んでしまうと大変な過ちを刷り込まれる可能性のある「 小 説 」 です。
しかし、精神病院に入院した患者の心理描写や「症状が病気なのではない」という指摘、「うそ」についての記述などは貴重な示唆として耳を傾ける価値が十分にあると思います。
本作は「良くも悪くも良くできた50年前の小説なのだ」ということを忘れず、そして「これは統合失調症の患者を主人公として書かれているが実体はむしろ神経症患者の病状である」ことを念頭に置いて読むならば、大いに得るところのある小説だと思います。
色々書いてしまいましたが、私もこの小説に魅せられた一人です。
くーにゃんさんがエントリで書かれたような部分に対して私も共感や魅力を感じており、同じような部分に共感を示されたこのエントリにもやはり共感を感じています。
長文になってしまいましたが、けっして、エントリを批判するつもりで書いてのではないことをご理解いただければ幸いです。
私自身は最初から、この作品を純粋に小説としての魅力ゆえに愛してきたので、現在の心理学から見てどの程度正しいかということについては別にたいした問題ではないと思ってしまいます。
しかしご指摘のような事情であれば、このように優れた小説が絶版のままになっているのも理解できます。
心理学の専門書シリーズの一冊として刊行されてしまったのがこの小説にとっては不幸で、残念なことです。
通常の小説という扱いであれば、Magpieさんが書いてくださったような内容をあとがきにつければまったく問題ないと思われますし、バーチャルな世界に慣れ親しみすぎて現実の社会生活に踏み出すことに臆病になりがちな現代の若者たちにこそ、ぜひ読んで欲しい作品だと思うのですが。
コメント、ありがとうございました。
デボラの狂気の世界と精神病棟の人々が大変魅力的だということ、同感です。
狂気と現実と、本当はどちらが異常なのかと考えさせられる小説でもあると思います。
(いただいたコメントにも返事を書きましたので、よろしかったらお立ち寄りください。)