2012年5月31日木曜日


 

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2012年5月19日土曜日


副島隆彦です。 5月9日に、 私たちの日本国の最も優れた政治指導者(
である小沢一郎に対して、政治弾圧そのものである、暴挙がまたしても行われた。 

私は、私たちの学問道場の 福島現地での4月末の「原発難民キャンプツアー」の成功の報告をする暇もありません。どんどん政治問題が次々と私たちに圧(の)しかかってきます。

「4月26日の 小沢無罪判決 への 反撃」として 控訴する という 恐るべき 違法行為を、検察審査会の指定弁護士=検察官役 という 者たち3人が、控訴期限の10日のぎりぎり前日に行った。

 私は、「日本の腐った法務官僚どもと最高裁の裁判官ども、というのは、ここまで、アメリカの言いなりになって、ヒドイことをするものか」と怒る。ただひたすら怒る。 この日本国民の 重低音での怒りを、アメリカの言いなりになってひたすら 売国奴を続ける者たちは、軽く見ない方がいい。

 私たちの我慢にも限度がある、ということを知るべきだ。ここまで、アメリカに屈従して、「オール霞が関」の官僚ども とテレビ・新聞の愚劣な買弁(ばいべん)報道業者たちは、日本国民の悲痛なまでの日本国の正常化と、国家の力の回復、 を アメリカにひたすら日本国民の大切な資金を、さらに貢いでタダで与えることを続ける気か。 

 日本国の疲弊(ひへい)はそろそろ限界に来る。崩壊しつつあるヨーロッパからのジャブジャブの違法すりチラシのユーロ通貨のカラ資金が、アメリカに流れ込むことで、さらにヨーロッパの崩壊が進む。 日本の追い詰めら方も、これと全く同じだ。

2012年5月17日木曜日


第2 USS 大修道院長 (DD-629) a はあった Fletcher- クラス 破壊者 のサービス 米国海軍。 彼女は後示された 提督 Joel の大修道院長。

彼女は置かれた 9 月21 日 1942 年 浴室、 メイン によって 浴室の鉄は働く、 進水させる 2 月17 日 1943 年、 夫人によって後援される。 Fletcher 優美の大修道院長、 提督のAbbot 孫娘、 そしてで依託されて ボストン海軍造船所 4 月23 日 1943 年、 Comdr 。 チェスターE 。 Carroll 命令。

破壊者はボストンで準備を完了した 5 月13 日 彼女が司令官に報告した時、 破壊者、 大西洋の艦隊、 shakedown の訓練のため。 彼女は彼女の最初の訓練をから行なった Casco 湾、 メイン、 まで 6 月18 日 そして、 次の3 か月の間、 より大きい軍艦のための護衛として役立たれて自身のshakedown を行なうことは巡航する。 9 月10 日、 大修道院長 西部の太平洋のために区切られたニューイングランドの海岸は出発した。 彼女は通過した パナマ運河 9 月16 日 そして、 サンディエゴの短い停止の後、 第28 の彼女の旅行の西再開される。 軍艦はで着いた ハワイ 10 月の島は早く補助訓練を始め。 但し、 航空母艦との衝突 USS Cowpens 10 月18 日 彼女に強制 真珠湾の海軍造船所 ほぼ3 か月を持続させる修理期間のため。 大修道院長 最終的に海に戻されて 12 月10 日 そして簡潔に再開された訓練。

12 月中旬では、 破壊者は真珠湾から立った、 のための限界 Ellice 島、 そしてで着かれて Funafuti クリスマスの後の日。 訓練及び維持は1 月の最初の頃によって彼女の時間を占めた 1944 年。 月末頃、 大修道院長 タスクグループ(TG) の単位は50.15 なった、 いわゆる中和のグループはタスクフォース(TF) にの職業のために58 付した マーシャルアイランド。 その仕事の割り当てはその間グループ運んだ 1 月29 日 そして17 2 月 とばされたWotje およびTaroa を切り、あった敵軍および戦闘機がそこに防ぐことは支えることを 日本語 Majuro の駐屯隊、 Kwajalein 、 そしてEniwetok 。 大修道院長 結合された巡洋艦 USS チェスター、 USS ソルト・レーク・シティ、 USS Pensacola、 そして軍隊を占めておく2 環礁の頻繁な海岸の衝突の5 つの他の破壊者は平面基づき。 彼女はその義務をまでの行い続けた 2 月12 日 その時点で彼女はMajuro とKwajalein の間で巡回し始めた。

3 月の中間によって、 破壊者は彼女が南Solomons 間の船団護衛艦の義務を遂行した南西太平洋に割当て直され、 ニューギニア Milne 湾及び岬Sudest の港。 4 月中旬では、 彼女はTG 78.2 のスクリーンの要素になった、 造られる護衛キャリアのグループ USS 珊瑚海、 USS Corregidor、 USS マニラのバット、 そして USS Natmna 湾。 破壊者は可能な日本の空気から護衛キャリアの保護を助けた 潜水艦 攻撃、 ニューギニアの北の海岸でAitape 及びHollandia で上陸している軍隊に近いサポートを提供するために彼らが彼らの平面を進水させる間。 TG 78.2 はその代表団を終えた 5 月5 日、 しかし 大修道院長 までの護衛キャリアのグループと残される 5 月7 日、 彼女及び何人かの他が出荷するときのためのコースを形づけた Hebrides の新しい島。 彼女は達した Espiritu Santo 5 月12 日。

次の4 週のため、 大修道院長 Espiritu Santo からの受け取られた定期整備そして行なわれた訓練の進化。 早く6 月で、 破壊者は護衛キャリア及び他の破壊者を持つ会社で中央太平洋の方に先頭に立つ。 攻撃のための最終的な準備をするためにそれらはマーシャルのKwajalein で停止した サイパン。 6 月12 日、 彼女はTG 53.7 の会社のKwajalein の礁湖から立った、 キャリアの支援団体 護衛キャリアのまわりで造られる USS Sangamon、 USS Suwannee、 そして USS Chenango。 タスクグループはで着いた マリアナ諸島 6 月16 日。 3 つのキャリアの飛行連隊が攻撃に近接航空支援を集まる提供する間、- 最初に、 サイパン及び、 後でで グアム - 大修道院長 そしてスクリーンの彼女の姉妹船は敵の空気そして潜水艦隊から再度キャリアを保護した。 彼女及び彼女は決定的の中の侵入力と充満残った フィリピン海の戦い どのTF 58 日本の海軍空軍力の残りを粉砕しなさいか。 後で約週、 6 月26 日、 彼女 USS 丈夫 三菱G4M "ベティ" twin-engine の爆撃機をはねかけるために力を合わせる。 7 月によって、 大修道院長 打たれる彼らの飛行士がアメリカの侵入の軍隊を助けてサイパン及びグアムで目標とする間、キャリアを羊飼いに続けられる。

2012年5月15日火曜日


アメリカ支配者大量逮捕くるか!FRB破綻ニュースでワシントンDC騒然、国連に捜査のメス入る!4.20 Xデーが訪れた−ベンジャミンフルフォード、残念ながら計画から外される


■国連が厳しく捜査される
FRBは271兆ドル先取特権の告発を受けて大騒ぎ
ワシントンDCは成すすべなし
ローマ法王が犯罪のため辞任
ベンジャミン・フルフォードに本件は一切知らされていない
■ギリシャ決算で3兆円の巨額赤字、日本のIMF拠出で補填か?


4月20日、何も起きていないというのは嘘だったようです。
デーヴィッド・ウィルコック氏の記事の「コメント欄」にその後の経緯が書かれていたとのこと。
毎度毎度ハートの贈りもの様には助けられています。これには驚きました。

※追記

今週の投票です。緊急アンケートとして取り扱います。大変重要です。

先週の結果は本日中にまとめます。

※ 追記 2

フルフォード・ウィルコック氏を揃ってこき下ろすサイトを見つけました。

フルフォード - ウィルコックはどこにも導きません

あたかもそれが実際の情報のように又は私の希望を託すべき何かであるかのように、私が憤慨するものはそのすべてとともにツールに細工されています。

それは、希望をもたらすので多くの誠実な人々がそれにだまされています。

どんなに「善意がある」としても、この種類のディスインフォメーションを必要としないでください。

プロジェクト「 Blueballs」 - メモ・独り言・戯言

どんな情報も疑ってかかるのは基本ですが、この得体の知れないZen Gardnerなる人物を信用できるのか?
偽情報とする根拠もなく「ただ善意ある人を騙すだけだ」と述べていますが、
それは自分のことではないでしょうか?と聞きたくなります。
現時点ではイルミナティの工作員止まりです。

Drake update: 国連にも捜査が.....FRBは大騒ぎ.....ワシントンは茫然自失.....法王が辞任する - ハートの贈りもの―2012アセンション


Drake is waiting for substantiation of this intel he got "about a day or so ago"−実証求む

"THE GENERALS UNDER THE JOINT CHIEFS OF STAFF TOLD EVERYBODY TO SHOVE IT!"
"THE SECRET SERVICE IS EXTRAORDINARILY 'TICKED' -- as well as the Delta Force -- because they've been 'dumped on'! "

統合参謀本部の下の将軍(=パネッタとは別?は、それを実行するように皆に命じました」
「奴らが淘汰されたので、財務省の秘密検察局も、デルタ・フォース(ペンタゴンの特殊部隊)と同様に活動の火蓋が切って落とされました」

2012年5月13日日曜日


破たんをむかえる聖トマス大学(旧 英知大学)の卒業生さんから
教えて頂いた日記です。

わたしは、この日記を読んで泣きました。

母校・英知大学の破綻について(1)

ここ一週間、何も手がつかなくなった。思い入れのある母校「英知大
学」が破綻し、閉校の可能性が大という報道を聞いて以来、落胆のあ
まり何も考えられなくなった。

 wiki英知大学

 朝日新聞 報道

 小田武彦学長による募集停止の声明

 卒業生である私の衝撃は深い。
 しかし、今は感情的になるより、状況分析が必要な時と思われる。
英知大学がなぜ衰亡したか、私なりに振り返ってみたい。

 おおよそネット内および「教育評論家」とやらの反応は、
「それみたことか。これは私が主張してきたように……」という、
いつもの口上で、少子化と世界不況の時代に無名三流地方大学は
淘汰されて当然だ、というものだ。
 はっきりいって、的外れも甚だしい。私が見てきた現実は全く
あべこべである。
 実際、卒業生ですら「時勢に乗ろうとした聖トマス大」にはもう
愛想が尽きている。私たちが嘆き、悲しみ、腹の底から慟哭している
のは、時勢などまるで無頓着な、まるで桃源郷のような母校「英知大
学」が消えることである。

「麗しき われらが巣屈 マレンピア」――ジャン・コクトーの
『阿片』のエピグラムに出てくる狂人病院に私は母校を例えたことが
あるが、ほんとうにあそこは麗しき狂人病院だった。
 外壁は煉瓦造りで見栄えがいいが、中は築30年近いリネリウムが
はがれたオンボロで、木製の開きドアをギーギーあけながら、冷暖房
のない教室で授業を受けていた。学食はよく調理師免許が取れたなと
疑うほど不味くて、ある時某助教授が学食で味噌汁をすすっていた
ら、具と一緒にゴキブリの卵が出てきて、大騒ぎになったことがある
(その話を聞いてから、私は学食ではなく、コンビニ弁当に切り替え
たが)。
 信じられないような話がいくつも連なっていく。校門横の側溝に錆
びた自転車が投げ捨てられているのに、私が四回生になるまで3年間
放置されていた。校門の前は一面コスモス畑だった。こういうと聞こ
えがいいが、ようするに畑なのであって、どこでどう迷ったか、そこ
から山羊が校舎まで迷い込んできて、蛍光灯がパッとしていない暗い
廊下をノコノコ歩いた揚句、エレベーターに一緒に乗ってしまうこと
があった。その横を、詩人の多田智満子先生御本人が何事もなかった
かのようにフワフワスタスタ通り過ぎって行った。――しかし、今考
えるとデルヴォー以上にデルヴォー的な、もの凄い光景ではなかった
か。念のためにいっておくが、そんなことが一、二度あったと言って
いるので� �ない。毎度こんな調子だった。
 教員も教員で、もの凄かった。今道友信博士の自伝『知の光を求め
て』の最後のページで、英知大学を「やっと落ち着いて学問の専心で
きる」と評価した後、岸教授(元学長)など英知大学の教授数人にとく
に謝辞を記されているが、この岸先生は実はエスパー(!!)で、お若い
時はスプーン曲げなど余興でされていたらしい。「エスパー学長」な
どと陰で渾名をつけていた私は「ぜひ見せてください」とせがんだ
が、「いや〜。歳を取って念力が落ちたもので。。。」とはぐらかさ
れてしまった。岸先生は数年前に帰天された。もっと話しておけばよ
かったかと思う。
 それにしても、元学長にスプーン曲げをせがんだとは、今では冷や
汗をかくが、当時は全く平気だった。それは教員だけでなく、職員も
そうだった。朝、校門をくぐると事務室に行き、備え付けのネスカフ
ェでモーニング・コーヒーを一杯飲んで、授業に出かけた。それを見
て職員さんが「てめぇ!!何様のつもりだ!」と怒ることはなかった。
美貌の女子職員さんが「おはよう……今日も勉強、がんばってね
♡」とおかわりのコーヒーを差し出してくれた。念のためにい
っておくが、そんなことが一、二度あったと言っているのではない。
毎度こんな調子だった。
 こんな調子で、しょっちゅう飲み会が校舎で開かれた。なぜか私は
いつもバナナを切る係だった。当時の井上学長から一回生までワイワ
イみんなで飲んでいた。酔っぱらった英文学科長以下教授陣と学生が
一緒になって、当時はやっていたチャゲ&飛鳥の「Say Yes」を合唱し
ていた。ほろ酔い加減の先生に「君、最近何を読んだ?」と言われた
ので、エラスムスの『痴愚神礼賛』をあげたら、「それは良い本を読
んだ」と感心された。あとで聞いたら、NHKの宗教講座を担当するほ
どの先生だったので、顔から火を噴く想いだった。
 フィリピンが専攻だった先生は夏場に半ズボンで講義したり、マニ
ラ空港から大学に出勤してきたり、私たちにこれでもかとパワーを見
せつけていた。学園祭になると、その先生の研究室が3日間飲み放題
で、午前中から夜までワイワイがやがや飲んでいた。焼きソバ屋と軽
音楽コンサートというありきたりの催しものより、ずっと面白かっ
た。その先生の研究室は美人が集まるので有名だった。確かにパワー
が全開でカッコいい先生だった。
 
 もちろん、先生から怒られることもあった。その先生に自宅に呼び
つけられ、「文学研究への心構えが足りない」と3時間か4時間説教さ
れたことがある。念のために言っておくが、この先生は文学が専攻な
のではない。専攻外の学生のために3、4時間も説教してくれたなん
て、有難い話ではないか。
 学生は教授を親と慕い、教授は学生を我が子とまではいかなくて
も、姪っ子や甥っ子のように扱ってくれた。かつての英知大学の魅力
といって、家庭的雰囲気がまずあげられるだろう。なんとも迫真さを
欠いた磨滅した魅力だが、ここまでの域に達していた大学は他の大学
にないだろう。そして、あらゆる家庭が家庭的とはかぎらない。先生
に結婚の仲人を頼んだ学生もいたし、卒業して小学生の息子がいる今
になっても教授と毎月テニスをしている学生もいる。
 先月卒業したばかりという先輩が背広姿で大学のベンチに座ってい
ることもあった。どうしたのですか?ときくと、外回りで嫌なことが
あり、つい大学に来てしまったということだった。そういえば、悩み
事を相談したり、懐かしむためだつたり、やたらに卒業生が構内で見
かけた。
 
 クラスメートだって、同様だった。
 私はいまだにさっぱりわからないので、大真面目に一度お訊した
い。大学のクラスメートの半分以上を知らないという学生がいるらし
いのだが、一体どういう付き合い方をするとそうなるのだ?私のクラ
スは50人ほどだったが、全員の顔どころか趣味性格まで思い出せる
し、一つ上のクラスの先輩も名前を言われれば顔ぐらいは思い出
す。

 英知大学は偏差値が低いのは事実だとしても、全員が全員バカだっ
たわけではない。というか、真剣ですらあった。なにしろ大学院もな
い学校である。教授が自分の将来について何かしら筋道をつけてくれ
る可能性は万に一つもない。一年のうち360日、図書館に通っている
学生もいたし、受験生でもあるまいし、昼食を食べている時も英英辞
典を読んでいる学生もいた。「俺、実はハングルがしたいんだよ。ハ
ングルを勉強して、マスコミ関係の仕事に就きたいんだよ」と聞かさ
れた仏文の学生がいた。その学生が何カ月か姿を見せないので、どう
したのかと思っていたら、韓国に行ってソウルのテレビ局に潜り込
み、語学と仕事の勉強を兼ねてずっとアルバイトをしていた。「俺も
負けてられ� ��い!」と思った。
 なるほど、何の目的もなく怠惰に日々を過ごしている学生もいた。
しかし、英知大学で夢を持ち、歩み始めた学生もいた。そして、弱々
しい若者の夢を冷笑する教授もたしかにいたが(特に仏文科はそうい
う先生が多かった)、夢をつぶそうとする教職員は一人もいなかっ
た。「アカデミズムのボス社会」の弊害を聞かされて、こちらも聞き
かじったようなことを受け答えしてしまうが、ほんとうのところかな
り的外れなことを言っているのではないかと思う。私は、そういうも
のを今まで一度も体感したことがない。

2012年5月12日土曜日


人は見ぬとも神は

伝道朝礼拝説教                       

2011.3.20

 

人は見ぬとも神は

 

《聖書》 創世記39章1〜9節

 ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトに連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。

 主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の家にいた。主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。主人が家の管理やすべての財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自分が食べるもの以外はまったく気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。

 これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。

「わたしの床に入りなさい。」

 しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。

 「ご存知のように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことは一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年5月10日木曜日


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2012年5月9日水曜日


 聖書の中に登場するイサクとリベカの結婚を知ったとき、大きな感動と衝撃が体中に走ったのを覚えています(創世記24章)。

 結婚後二十年、四人の子どもたちも成長し、自分の人生を見直し、「神さまのために何かがしたい」そんな思いから祈りはじめ、三年目に、神さまからの答えがありました。それは、クリスチャンどうしの結婚の助けとなることでした。そんな思いを牧師夫人の集まりで話しましたところ、クリスチャンとの結婚を望みながら、出会いのないまま教会生活を送っておられる方の多いこと、またクリスチャンとの結婚を望みながらも、出会いの機会がなく、結果的にノンクリスチャンとの結婚を選ぶ方が多いこと、さらにクリスチャンの方がノンクリスチャンとの結婚をすすめ、お世話されるケースさえある� �となども知らされ、祈らされました。先のイサクとリベカの結婚に、神さまが私たちに教えてくださっている祈りがあり、私たちのあるべき姿勢が示されていると確信し、押し出されるような思いで、この会をはじめました。当然のように会の名前は「イサクとリベカ会」としました。

2012年5月7日月曜日


「香りを感じられない」
商品に力を入れる私には辛い言葉でした。
そしてソフィアローズのご愛飲者からたくさんの声を集めました。
友の会やモニター会でも「正直な声を下さい」と訴えました(T_T)

そしてある事に気付きました!
それは、毎日バラの香水を使っている私には、
常にバラの香りが鼻に付いているのです!
しまった!と、いまさらながら思いました・・・。

2012年5月6日日曜日


ハングルの歴史
の記事では、

韓国では、昔しから
漢字を使用してきたことを
述べました。

漢字語のハングルの読み方には、
音読み1つしかありません。
(例外もありますが...)

ですから、一つ読みを憶えれば、
他の漢字の熟語にも応用がききます。


--------------------------------

「冬のソナタ」は、ハングルの題名で



겨울연가キョウリョンガ、冬恋歌)

ですね。

2012年5月4日金曜日


ワイルドハント(Wild Hunt)は、ヨーロッパの大部分の地域に、古くから伝わる伝承である。いずれの地域においても、伝説上の猟師の一団が、狩猟道具を携え、馬や猟犬と共に、空や大地を大挙して移動していくものであるといわれている[1]

猟師たちは死者あるいは妖精(民話の中で、死と関連する妖精)であり[2]、猟師の頭領は亡霊、多神教の神、あるいは精霊(男女を問わない)、または歴史上や伝説上の人物であると言われる。例を挙げれば、東ゴート王テオドリック、デンマーク王ヴァルデマー4世、ウェールズで霊魂を冥界に導くとされるグウィン・アプ・ニーズ、または北欧神話の神オーディン、またアーサー王のこともある[1][3]

この狩猟団を目にすることは、戦争や疫病といった、大きな災いを呼び込むものだと考えられており、目撃した者は、死を免れなかった[2]。他にも、狩猟団を妨害したり、追いかけたりした者は、彼らにさらわれて冥土へ連れていかれたといわれる[4]。また、彼らの仲間に加わる夢を見ると、魂が肉体から引き離されるとも信じられていた[5]

[編集] オーディンとの関連

[編集] ハロウィーンからユールの時期

北欧神話ではオーディンの狩猟団とされており、「オーディンの渡り」とも呼ばれる[6]。ワイルドハントが始まるのは10月31日で、翌年4月30日までは終わらないといわれた。この2つの日は特に大事である。10月31日、太陽は九つの世界へいき、精霊や妖怪がこの世を放浪するようになるからである[7]。10月31日のサムハイン(サウィーン、ハロウィーン)は魔女の新年であり、現世と霊界の壁がいちばん薄くなる時期でもある。北欧神話では、サムハインは10月31日の9日前の夜から始まり、10月31日の9日後の夜に終わるが、31日当日が、壁が薄くなるピークである[8]。また北半球の大部分では、ハロウィーンと共に、冬の季節が始まり、かつて多くのヨーロッパの人々は、影が長くなって火をともすこの時期は家にこもった。狩猟月の先端が暗闇に浮かぶと、嵐が吹き荒れる時期となり、アンシーリーコートの時期でもあり、ワイルドハントは暗い日、10月31日から冬至の休閑期に集中する[9]。元々は、ユールと十二夜の間に、8本足のスレイプニルにまたがったオーディンが、魔物や精霊たちや遠吠えする犬を従えて、やってくるとされていた。オーディンが、スレイプニルにまたがって天に駆け出すと、雷のような音が轟き、風が吹きはじめ、やがて耳をつんざくような音へと変わる。他の悪魔や精霊の馬の蹄の音も、この音に加わり、犬たちも同様に、やはり耳をつんざくような吠え声を上げる[10]。かつてのゲルマン世界で、クリスマス前後の、燻し十二夜の頃は雪嵐が多く、その嵐にオーディンの到来を人々は重ね合わせた。また、この頃祖先の霊が帰ってくるという言い伝えがあり、今も、特に北欧ではこの習慣が守られていて、故人の好んだ料理を作って並べ(ユール・ボード)、馬の手綱を解いて、故人の霊が乗れるようにしておくという[11]

冬の風が吹いて、ユールの火がともされる頃は、家の中にいるべきだ。
暗闇の小道からも、野生のヒースからも閉ざされていて安全だ。
ユールの夜にあてどもなくうろつく者は、樹上からのさらさらと言う音を耳にする。
それは風の音だろう、でも他の木はしんとしている。
でもその次に、犬の吠える声を聞こえる、軍団の首領が舞い降りてくる。
目から火を吹く黒い猟犬、黒い馬のいななき。

クエルドルフ・ハーゲン・グンダルソン 『マウンテン・サンダー』[12]

ユールの間中、ワイルドハントの動きも最高潮に達し、死者がワイルドハントの一員となって現世をうろつく。リーダーであるオーディン、その後に、黒くて吠え続ける犬を連れて、狩りの角笛を吹きならす死んだ英雄たちが続く[13]。オーディンの8本足の馬、スレイプニルのために、古代のゲルマンやノルマンの子供たちは、冬至の前の夜にブーツを暖炉のそばに置き、スレイプニルのために干し草と砂糖を入れ、オーディンはその見返りとして、子供たちに贈り物を置いていったという。現代では、スレイプニルは8頭のトナカイとなり、灰色の髭のオーディンは、キリスト教化により、聖ニコラウス、そして親切なサンタクロースとなったのである[14]。ブーツ以外に靴下を置き、やはり中に、スレイプニルの食物や干し草を入れておくと、やはり、オーディンから、子供たちへのキャンディがその中に入っているといわれる[10]。もし、戸外でワイルドハントに出逢った人は、心の純粋さと、このワイルドハントに象徴されるような恐ろしい光景に敬意を払えるか、一種の度胸試しがなされ、さらにユーモアのセンスが試される。もしそれに合格すれば、その人は靴を黄金で一杯にするか、食べ物と飲み物をもらって帰ることができる。しかし不運なことに合格しなかった場合、その人は、恐怖に満ちた夜の旅へ、生涯連れまわされることになる[13]。ワイルドハントに命を奪われ、魂が、その後何年もこの軍団と共に空を駆け巡った者は、邪悪な者や嘘つきといわれるが、ユールの時期に、祖霊へのご馳走を怠ったからだとも広く伝えられる[10]。かつては、死が間近な病人の場合、狩りに加われるように、部屋の窓が開けてあった[15]

2012年5月3日木曜日


 怒涛の3月も今日で終わります。連日どの新聞もどの雑誌もどのテレビもこの話題一色です。普通だったらこれだけ同じ話題が続けば、一寸ばかり、うっとうしい気分になるところですが、天災に続いて、人災がこうも立て続けに、あちこちで起き、いつ頃までに解決するかの見通しさえ立ちません。

 今日も一番のニュースは原発関係です。この件に関しては明らかに人災の方が圧倒的に比率が大きいでしょう。今日はその人災の大元、「菅政権にまつわるそれぞれの論評の中から、渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の雑誌『WiLL』5月号より(総力大特集 東北関東大震災)より、まず渡部先生の書かれた文を記録します。

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 【天も怒った 史上最低の宰相】 渡部昇一

 

 菅さんの全ての欠点の元は、市民運動家出身であることに集約されています。彼の政治上の決断力の弱さも、実はここからきています。

 そもそもなぜ「市民」というのか。多分、彼らはローマの市民権のイメージだけをうまく使おうとしたのでしょう。しかし「市民権」という言葉があるように、ローマの市民になるか否かは、逆を返せば蛮族であるか否かというのと同じくらいの違いがありました。

 市民になれば様々な権利を得られますが、その代わりに兵役の義務があり、ローマのために死ぬ覚悟が求められます。「市民」であるということは、権利と同時に義務も背負うものなのです。

 ところが、菅さんら「市民活動家」がこれまで主張してきた「市民」なる者は、無責任極まりないものでした。「市民のために命をかける」覚悟もなく、ただ何となく「市民」という言葉を使っている。いや、さらに悪くて、日本の場合は「市民」を名乗る者は「国民ではない」ことを言いたいがため、反日的運動のためにその名を使っているに過ぎないのです。

 その証拠に、菅さんは徹底して「国民」という言葉を使いたがりませんでした。この時点で、すでに「市民」という言葉は元の意味を失って、ただただ「国」というものが嫌いな人たちの集まりであり、致命的に国家観が欠如している、というところまで堕ちてしまっているのです。

 その思想は、総理になって嫌々ながら「国民の皆様」などと言うようになってからも透けて見えてきます。

2012年5月1日火曜日


 本を読むことが好きだ。でも何が好きなのだろう。本をめくることが好きだ。本を持ち歩くのが好きだ。本が薄汚れていくのが好きだ。本の紙の匂いが好きだ。本を購入することが好きだ。本を積み上げるのが好きだ。部屋にある背表紙を見るのが好きだ。本がたくさんある部屋で、すっかり忘れていた本と再会することが好きだ。

 要するに、本という物質そのものに、僕は惹かれているのだろう。だから、情報にあまり興味がない。この本を読んでこれこれがわかりました、という要約的なことは、たまに訓練でやってみるし、知識が増えていく快楽がないわけではないけれど、本を読むという行為そのものに比べれば、それは大したことではない。

 暗記するために読んだり、何か情� ��を引き出すために読むことが、昔から好きではなかった。世の中の人は、本を読む人は勉強好きというステレオタイプをもっているが、本は好きだが勉強は嫌いというタイプも、実はいる。僕はそれにあたる。